パワースポットと相対主義

熊本地震が気になって、最新情報をチェックしている方は多いだろう。被害者や避難地、ボランティアなどのニュースが川のように流れていく中である記事が見つかった。

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上の記事によると熊本県にある人気パワースポット、免の石、には後戻りできない変更があった。この免の石というのは、崖に挟まれている、がひっそりと宙に浮いているよう岩である。パワースポットとして広く知られているこの奇岩は「災いを免れる」とか「決して落ちない」などの意味を持つ。それにあやかろうとして、受験生や恋を求める女性の来客が多かったという。しかし、この落ちそうでも落ちない奇岩が地震の刺激を受けてとうとう落下した。熊本地震による被害に加えるだけで、そのまま忘れるつもりだったらせっかちだ。次はこの記事を読んでください。

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「ホットした」村職員が落ちた奇岩を見つけた。粉々とならず、斜面にある木に引っかかって止まったことで、発見者がこう話した:「木に引っかかっていたので、受験や就職試験に『引っかかる』御利益もある。新たな『パワースポット』としてまた売り出したい」。ホットした村職員の発言にはっとした。

パワースポットはなんという柔軟性がある。落ちる前の来客の希望が完全に裏切られたにもかかわらず、石の「力」が単純に形を変えて、新しい御利益にパワーを注入した。しかし、いつこの気まぐれな石がまた移って、御利益の特徴を変えるか分からない。悩んでいる受験生は実に可哀想だ。

別に村職員の揚げ足を取るつもりではない。もしかすると、このような思考は日本的である。神道の本来である「神祇信仰」はパワースポットとあまり変わらない気がする。この間、司馬遼太郎井上ひさしの「国家・宗教・日本人」の対話を読んで、司馬さんがこう話した:「中近東をのぞく東洋人は世界を相対的にとらえるんですが、西洋人はキリスト教以来、絶対主義というものを持っています」と。だから、日本出身のパワースポットが絶対的な存在でなくて、御利益の形を変えても不思議ではないかも知れない。どうでしょうか。